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幸せについて考えてみた(理屈で)

ポール・ドーラン『幸せな選択・不幸な選択 −行動科学で最高の人生をデザインする−』読了。 お盆休みの最終日、上京の途中(高松駅)でマリンライナーと新幹線のお供に購入。

読み終わってから、ひどい邦題だとおもった。決して題にある「選択」に着目した本ではない。どうして日本語訳の本は原題とズレた題をつけるのだろうか。 原題の"Happiness by Design - Change What You Do, Not How You Think"は良い。『幸せの設計』で良かったのに。

行動科学的・経済学的に「幸せ」を考察した本。 己の信念のみを書いてある自己啓発本よりも、学術的な実験が引用されている分、説得力がある。

幸せとは

著者によれば、

幸せとは快楽とやりがいのバランスがとれた状態が持続すること(p.46)

である。幸福を快楽とやりがいに分けて考えるのは斬新だそうだ。カーネマンの序文にもある(p.8)し、著者自身もそう書いている(p.28)。幸せになるには、快楽かやりがいか、どちらかの最大を目指すのではなく、バランスが重要であるという。しかし、その最適なバランスは人によっても異なるし、同じ人間でも時期によって割合が異なってくる(p.43)。ただし、経済学の概念である「限界収穫逓減の法則」を根拠として、どちらかに偏重しすぎることを警告している(p.43)。ようするに、偏ってしまうと幸福を得る効率が落ちるということだ。

幸福の製造プロセスとは

ある快楽とやりがいのバランスをどう変えていくのか、ひいては幸福をどのように得ていくかのプロセスを、製品製造プロセスになぞらえて「幸福の製造プロセス」と呼んでいる。

幸福の製造プロセスとは、あなたの注意を割り振る(配分する)作業のこと。幸福を生み出すためのインプットは、あなたの注意を奪い合う非常に多くの刺激だ。(p.88)

とある。刺激とは、「例えば、本書、子供、銀行残高、健康状態など」が挙げられている。もっと言うと、日常生活でのあらゆる出来事・五感が感じる事、全てが刺激である。それら刺激に対する「注意」がキーであり、同じインプット(=刺激)があっても、それにどの程度注意を払うかによって、幸福加減が変わってくる。つまり、幸せになるには、

あなたの注意を奪い合うすべての刺激を、できるだけ多くの幸せがもたらされるように処理する方法を追求するわけだ。(p.89)

「幸福の製造プロセス」というモデルを理解することが、この本の山だと思う。 自分は何に注意をしているだろうか、そこから幸福を得られているのだろうかを日々考えて行きたい。 そして変えたほうが良い物は、変えていく。そうして僕は幸福になるのだ。ほんまかいな。

注意の配分について

刺激に対する「注意」を何に配分するかについても考察がある。といっても、よく聞くものが多い。人と関わること、ときにはインターネットを切ること、今に集中すること、習慣を利用すること、環境を変えて自分があることをするように仕向ける、などだ。このあたりは、巷にあふれる自己啓発本と変わらない。そんなに読んだこと無いから知らないけど。ただ大きく違うのは、随所に行動科学の成果が引用されているおり、こういう話題につきものの胡散臭さが無いことだ。

本の後半部分は、イマイチ。

「II.幸福を届ける」 以降は説得力に欠ける。 後書きには、

幸福の製造プロセスを機能させれば、決断、設計、実行の3ステップで注意をうまく配分しなおし、幸せになれるのだ(p.296)

と自信満々に書いてあるが、「決断・設計・実行」が解説されている第5,6,7章はまとまりなく、更に続く第8章(最終章)は具体的な例の考察で終わってしまい、残念だった。

行動科学・心理学系のこの本や、認知科学社会心理学の本を何冊か読んだことがあるけれど、どれも今ひとつピンとこない。実例(実験結果)を豊富に引用しているのは良い。そのものを実験を解説している部分は面白く読める。しかし、そういう本で引用されているような実験結果から、一般的・普遍的な結果(教訓ともいえるような)ことを引き出すのは、かなり無理がある気がする。よく引用されるような心理実験は、実験条件が厳しいこと、どうしてもパーセンテージであらわされるような統計的結果になること、これが難しくしている原因だろう。こういうものから、納得できる一般的な教訓や示唆を得るのは、センスがいりそうだ。哲学者に期待したい(そう思ってデネットの本も持っているが、如何せん厚すぎてなぁ。。。)