【感想】『哲学の先生と人生の話をしよう』 國分功一郎 著

爆笑あり、ボディブローありの一冊であった。

メルマガで連載されていた人生相談を単行本化したものである。メルマガ読者の人生相談に哲学者の著者が答える。あとがきに「相談に少なからぬ数の重々しい内容がふくまれていた」とあるように、相談内容は家族絡み・恋愛がらみの深刻な問題が多い。深刻な問題に、著者はどう答えるのか。

軽く立ち読みしたのちに購入した。著者が相談者の文を引用して回答しているのが気に入った。人生相談の回答をする上で、相談者の文を慎重に読み解き、相談者の人となりや問題の背景を想像しているのが良く分かる。テクストを読み解くという行為の模範と言っても良いかもしれない。著者の回答を読むと、読者からの相談文の裏に隠れている背景をここまで読み取ることができるのかと、ため息がでる。「文系の基本は本を読むことです」(p.88)とあるように、徹底的に訓練した人のなせる技なのだろう。著者自身もその点に力を入れていたようで、人生相談においては相談文に直接書かれていないことを探り当てることが重要であると、あとがきに書いている。

爆笑

著者によって、相談文の裏に隠れた真意があぶり出される。深刻な相談の多い中、僕の笑いを誘ったのは人生相談に見せかけた自慢話である。相談した人はその人なりに悩んで相談しているのだろうが、誰かに自慢したいという自意識を著者に読み取られ、ズバズバ指摘されてしまう。

ネタバレになってしまうが、例えば、既婚者にもかかわらず、不特定多数の女性と一夜限りの付き合いにはまり、それを通り越して虚しさを感じているという相談がある(p.42)。相談文には、どこで女性と出会ったかが具体的に詳細に書かれている。「具体的で詳細に書かれているのは、当然、そのことを具体的に詳細に言いたいからです」と著者はいう。そして、ジジェクの「下品なジョーク」を引いてくる(p.45)。この流れは最高だった。相談者には失礼ながら爆笑した。

とはいえ、先の相談はかなり深刻である。「文面から奥様の人物像が全く見えてこない」と著者はいい、さらに相談者(=夫)は「奥さんのことを全く考えていないのです」と言う。もう一度相談文を読んでみると、著者の言うとおりだと納得してしまう。

詳しく書かれていれば、それは言いたいことである。書かれていなければ、考えていない。これらは著者がよく使うロジックだ。『暇と退屈の倫理学』でも出てきた。

ボディブロー

爆笑した反面、ボディーブローをボコボコ打たれた気がする。後から効いてくるかもしれない。僕が自分にとってのキーワードと捉えたのは「リアリティ」と「自意識」だ。

「リアリティ」

「リアリティ」は、著者が相談者の文をリアリティを持って読めなかった、という使い方で出てくる。人が頭を悩ませる問題は、目の前の現実ではなく理想にとらわれていたり(p.227)、抽象的・一般的であったり(p.170)することが多い。漠然とした考えしかないのではないか、それが問題の根本原因ではないか、と回答する。一文引用しよう。

どんな悩み(問題)も一般的・抽象的である限りは解決しないのです。いかなる問題も個々の具的状況の中になります。そして個々の具体的状況を分析すると、必ず突破口が見えてくるのです。p.172

引用した箇所だけ読むと、引用文自体が抽象的な内容であるのもあり、陳腐な主張に思える。しかし実際に本を読めば、相談文という限られた情報から想像力を働かせ、「具体的状況を分析」する著者の腕に感嘆することだろう。

自意識

肥大した自意識は、鬱傾向を引き起こす。悩んでいる相談者の文から、肥大した自意識が垣間見えることがある。"純粋"な僕には、相談者の自意識を読み取れないことが多かったが、著者はズバズバと指摘している。先に上げた自慢も自意識の範疇である。

しかし、ただの自慢程度ならばまだ可愛い方である。この本を読んでいて、最も重いパンチを食らったのは、下記引用部分だ。

自意識で処理するのはまずいということが意識できている俺、という自意識が読み取れます。 p.32

自意識を意識しているという自意識。(自)意識は僕の大好きな自己言及性を持っている。ボディブローを食らった僕はこれから先、自意識を意識していることを意識することになるだろう。それはカッコ悪いのだろうか。

激しい自己主張と激しい落ち込みを繰り返すこのサーキットの外に出ることを考えないといけません。p.190

「激しい自己主張と激しい落ち込み」をもたらすのは、自意識だ。気をつけて扱わねばならない。

自分に嘘をつく

本文中には著者の厳しい言葉が散見されるが、シンプルな目標とすべきことも書いてある。それは、自分に嘘をつかないことである。

自分に嘘をつくというのが生きることにおいて一番良くないことだからです。 p.103

人間は勘定を獲得することにより、情動の教える所を裏切ることもできるようになった。自分に嘘をつくことが可能になったのもそのためです。 p.112

自意識が肥大する傾向は、現実を歪んで捉えることからはじまるとすれば、それは自分に嘘をついていることにほかならない。見えていたはずのことを見えていなかったことにすることから、自意識の肥大化がはじまる。

自分に嘘をついてはいけないのだ。自分に嘘をつかないこと、これが自己分析というやつではないだろうか。

哲学の先生と人生の話をしよう

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